多様化な看取り
わが国では、現在死者の8割以上が医療機関で「死の瞬間」を迎えているが、多死社会を迎えた中で、医療機関のベッド数が減る状況を鑑みると、この割合は減らざるを得ない。
しかも2030年には約160万人の死亡者のうち、47万人ほどが、死に場所の定まらない「みとり難民」になる恐れがある。
そのため社会の様々な場所で、看取り介護・ターミナルケアを行うことができる体制を整えねばならず、そのためにも地域包括ケアシステムをしっかり地域ごとに創り、様々な場所で所属機関の異なる多職種が連携して、協働することができる体制づくりが急がれている。
つまり地域包括ケアシステムは、そのシステムを作ることが目的ではなく、そのシステムによって、入院しても、円滑に退院が可能となるようにすることで、医療が必要な高齢者や重度の要介護高齢者についても、可能な限り地域(住まい)で生活できるようにすることであり、一人暮らし高齢者や、虚弱な長寿高齢者を地域(すまい)で支えることができるようにすることであり、増加が見込まれる「認知症高齢者」が地域(住まい)で生活できるように支えることを目的としているのである。
その先に、暮らしの場で看取り介護ができるようにすることを目的ともしている。つまり死ぬためだけに医療機関に入院しなくてよい社会を作るために、地域包括ケアシステムが求められているともいえるわけである。
このように、地域包括ケアシステムと看取り介護・ターミナルケアが密接に関連しているのである。このことについては、平成25年3月に地域包括ケアシステム研究会が作成した「地域包括ケアシステムの構築における 今後の検討のための論点」の中でも、次のような内容として記されている。
・毎日、誰かが訪問してきて様子は見ているが、翌日になったら一人で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう。
・常に「家族に見守られながら自宅で亡くなる」わけではないことを、それぞれの住民が理解した上で在宅生活を選択する必要がある。
つまり報告書では、国民に対して在宅でサービスを受けながら死を迎えることについて、死の瞬間に誰かが側にいて看取った状態で、その瞬間を迎えられないことの覚悟を促したうえで、それは孤独死ではなく、「在宅ひとり死」であるとして、不適切な状態ではないという理屈を創りあげているわけである。
それが正しい理屈であるのか、その方向性が良いのかどうかはわからない。少なくともそうした「在宅ひとり死」を望まない国民もいるだろうとも思う。こういう社会情勢であったとしても最後まで傍らで寄り添う看取り介護の取り組みも必要だとは思う。しかしながらすべての国民が、最後の瞬間まで誰かが側について看取ることができないのも事実であり、その際は、誰かの死に気が付かずに、死後遺体が長期間放置される状態となることだけは避けたい。隣人の存在を、死臭によってはじめて知るような社会になっては困るわけである。