経管栄養の是非
経口からの食事摂取ができなくなっても、経管栄養による栄養管理を実施し、回復を願い治療を続けることはあって当然であり、経口摂取に回復しない状況が明らかであったとしても、経管栄養によって延命措置を望むことも認められて当然なのである。安楽な自然死の過程においても、場合によっては経管栄養が一時的に必要となるかもしれない。
そもそもそれは対象となる人の選択が一番尊重されるべきであって、こうしなければならないという思い込みや、押しつけがあってはならないはずである。そうであるがゆえに、適切な選択が出来うる情報提供と説明責任が求められ、そのことを考えると、自分が将来食事摂取ができなくなった時の対応をどうしてほしかということは、元気で食事の経口摂取ができる時期から確認しておくことが望ましいと思われる。
本来、経管栄養にする・しないの判断は、医師が勝手に判断するものではなく(治療の一環としてどうしても必要な場合の例外はあるかもしれない)、対象者本人が決定すべきものであり、本人が決定できない状況の場合は、その意思を代弁できる家族等が、徹底的に本人の立場に立って判断すべき問題であり、対象者(あるいは代弁者)が経管栄養を選択した後は、その判断が良かったのか、悪かったのかさえ評価する必要もないのである。むしろソーシャルワーカーは、その判断については何も疑うことなく、最後まで心理的支持を示し続けていくことが求められるであろう。