認知症ケア 時間【とき】の流れはどうなっている?
施設の中で毎日、利用者と接し、毎日の日常の中で起こる「出来事」に対応している。
そうすると、いつも答えや正しい対応を論理的に説明できないと能力がないように感じてしまうことが、しばしばある。しかし人間の生活の中で起こる問題や、その対応にマニュアルなんて作れるはずもなく、昨日効果があった対応が、今日も正しい答えになるとは限らない。
問題対応の答えとして、我々の対応方法を考えてしまう限り、本当の答えは出ない。
我々は、人として相手を思いやる心や、性善説だけでは答えが出ない、人間の感情や心の弱さにまで思いをはせて、相手にとって「より良いこと」を考えるより、「不快なこと、嫌なことをしない」存在に なることが大切だ。
良いことばかり考えてしまえば、その良いことをしたという我々自身の満足感の背後に潜む、様々な不快感情を見逃してしまうことがある。一人の方の喜びの為、何人もの物言わぬ不快感情を作り出してしまっては意味がない。だから人間の生活に係るケアは難しくて奥深いのだ。
さて、認知症の高齢者の方々が、窓際でなすこともなく、ボンヤリたたずんでいることがある。
わたしたちは、そのとき彼らに何か声をかけて意味ある行動や会話をしてもらおうとしてしまいがちだが、時としてそれは高齢者本人にとってしごく迷惑なことになる恐れがあることを忘れてはならない。
意味のある会話を求めて、何かを問いかける態度自体、相手にとって「脅威」となる恐れがある。
逆に、認知症高齢者の方同志で2~3人 一緒に会話を交わしている場面をみると、お互いの会話はまったく双方向でなく、それぞれ別のことを口にしていることがある。ところがそういう場面でも、その中にいる方々の表情は非常に穏やかで「意味のない会話」であっても「コミュニケーションが取れている」という状況がよくある。
お互いが、お互いの脅威にならず、ゆったりと時間を共有しているのだ。
こういう雰囲気を我々は見習わねばならない。
そして認知症の方々の心の中の時計はアナログ時計のように、前の時間や出来事と、必ずしもつながりを持っているものではなく、その時々で数字が切り替わるデジタル時計のように、脈絡やつながりのない動きをすることを知っておく必要がある。
ただしそれは極めて短期的な切り替わりで、長期的には、我々の普段接する態度が、認知症の方々の行動パターンには非常に影響しやすい。
重度の認知症の方でも「嫌だ」とか「嫌い」という感情は最後まではっきり残っている。
どんなに知識が豊富で介護技術がある人でも、認知症の方々の生活の中で「脅威」になるような態度や言葉のある人は、「嫌われる」。
認知症の方々に対するケアサービスを考えたとき、「嫌われた」介護者はほとんど戦力にならない。そういう人たちがいるというだけで利用者は落ちつかず、混乱し、いわゆる「問題行動 」という現象を引き起こすのだ。
何のことはない、問題行動の多くは認知症の方々本人の問題ではなく、介護の問題ということだ。
それらの方々の脅威にならず、時間をともに共有して過ごせる時間を考えることが一番大切だ。
やはり認知症の方々と接する方法は、日常の中で認知症の方々から教わることが多いということと思う。