施設入所は誰も望んでいない
特養に自ら望んで入所する人はいないと言われる。ほとんどの場合、何らかの事情で家族が特養入所の申し込みを行い、利用者本人は自分の意思とは違っても、家族の判断に従ってしぶしぶ入所するのだと言われている。
実際には、本人が望んで特養入所する事例もあるが、少なくとも本人が積極的に特養入所を望むケースはごく少数派であると言ってよいだろう。だから前述した状況は当たらずも遠からず。
そして「家族が申し込みをする」という状況が大多数であることも事実だ。この状況は、「家族が身内を特養に入所させたいと希望している」という意味合いではないのかもしれない。どういう意味かというと、家族は必ずしも身内が特養に入所することを、「望んでいるわけではない」ということだ。
特養に身内を入所させることを望んではいないが、自宅での介護に限界を感じ、やむを得ず特養への入所申請に至るという事例が多いということを念頭に置くべきである。つまり家族にとっても、特養入所は、「よりまし」な選択にしか過ぎないかもしれないということである。
その時、特養関係者はどのように考えるべきなのか?特養を利用者本人や家族が、望んで入所できるように、高品質の介護サービスを提供する場にすべきなのか?
勿論、特養が本当の意味で生活の場になるためには、利用者ひとりひとりの暮らしを支える高品質なサービス提供ができる場所にすることについて異論はないだろう。だからと言って、「特養に入所することが自宅で暮らすよりもよい生活ができるよ。」と言う必要もないと思う。
誰しもが、住み慣れた自宅で家族とともに暮らし続けたいと思うのは、当たり前である。新しく立派な設備や、豪華な家具や、バリアフリーの環境がなくとも、住み慣れた場所で、心置きなくともに生活できる人とともに暮らし続けることに安らぎを感じるのが、多くの人の一般的な感情ではないか。
だがこれだけ高齢化が進行し、家族単位が縮小し、人口が減りつつある社会情勢を考えると、自宅で最期まで住み続けるということが難しい社会となっている。居所を変えなければならない人が増えることも当たり前なのである。
その時に「よりまし」な選択として特養に入所してくる人がいて、それは本人の意思とは相反する状態であるとする。そんな時、世間一般の拒否感情を否定して、特養は生活の場ですから、もっと好きになってくださいと声高らかに叫ぶ必要はないと思う。そんなことより求められることは、「入所したいと思ったわけではない特養」に入所してみたら、そこでの暮らしはなかなかのもので、これだったらここで暮らし続けてもいいと思ってもらえて、いったん入所してみたら、もうここから退所したくないと思う暮らしを創ることだと思う。そうした暮らしを支援できるケアサービスを提供することを目指すだけでよいのではないかと思う。