ふと思う「療育音楽」という言葉
この言葉は赤星建彦氏によって作られたものであると思うが、療育の意味は辞書を引けば「障害児が医療的配慮のもとで育成されること」となっている。どうも本来のこの活動と言葉がマッチしないように思え、新たな言葉での表現が必要と思う。
ただこのメニューそのものは、医学モデルでもなんでもなく、みなが寄り集まって、楽しい時間を過ごしながら自然に手足を動かし、声を出せるという効果があることは事実だ。
よい言葉が浮かんだ方はいますか?
さて、それとは別に、認知症の方に対する取り組みのひとつに「化粧療法」なるものがある。女性の認知症高齢者が化粧をすることで、心の活性化が図れるというものである。
そうかな?
生活リハビリの先駆者、三好春樹氏が「化粧療法より化粧そのものをしたくなる生活を作れ」と言っていた覚えがあるが、まさにその通りと思う。
何も目的がなくイベント的に、認知症の高齢者に化粧品会社の派遣職員が指導して、介護職員が一生懸命、何人もの高齢者に化粧をしているなんていうのは不自然でないだろうか。
それより、行きたい場所、逢いたい人、がある生活作りが大切だ。今日は晴れたから外へお買い物に行きましょう、という生活があれば、自然と起きたままの寝巻き姿でいることはないし、顔を洗って、髪の毛を梳かして、身だしなみを整え、化粧もしてみよう、という気持ちになるんだ。
そうでない生活からかけ離れた療法としての化粧は続かないし、いずれ高齢者本人にとっても意味のない無味乾燥的なものになって心身活性化効果も期待できないだろう。
福祉施設の職員は、療法と聴くといかにも専門的な「治療」と同様に考えて、必要以上にありがたがってしまうけど、生活に根ざさない療法は効果がない。
生活者の視点で、心が動かない予防モデルが効果がないのと一緒で、我々がサービスを提供するポイントは、やはり利用者の心に響く関わりなんだ。療法をありがたがるより、生活には何が必要かを考える方がよっぽど良いサービスができる。
音楽まで療法になってしまえば、人は音を楽しむことができないだろうし、そしてそれは人の心を癒すものとはならないと思う。