命の重みを考える日にした
人の命の重みは、幼い命であっても、高齢者の命であっても、それだけで変わるものではないが、残された親御さんの気持ちを思うと、幼い我が子を失う哀しみはいかばかりのものであろうか・・・。
たまたまその時間に地震が起きて、その時にたまたま通っていた道の傍らに違法建築のまま放置されていたブロック塀があったという、考えられないような不運と不幸が織り交ざって被害にあうなんて・・・。本当に可哀そうに思う。神様も悪戯が過ぎる・・・。
命の尊さとその重みを今一度考えたいと思う。
命ある人に向かい合う職業の重みもまた問い直したい。
対人援助という職業に携わる我々が、命の重みやはかなさ、尊さを意識して日々の仕事に向き合っているだろうか。置かれた環境や身体機能の違いに関係なく人を敬っているだろうか。能力の違いで、知らず知らずのうちに人を差別視していないだろうか。
そもそも自分が職業の中で向かい合う人を愛おしく思い、真摯に寄り添うことができているだろうか。
その思いを振り返って、あとから悔やんでも、命が失われた人は二度と戻ってはこない。その人に対して、そのあとにできることはない。だから日々の営み、日々の関わりに悔いが残らないようにしたい。
そのことをたくさんの仲間と伝え合い、同じ思いを持つ人の輪の中で、幸せや笑顔の樹形図を描く方法論をたくさん見つけていきたい。
今日は、そんな風に思い続けている。