言葉の虐待
特養や介護保険施設で状況の差はあれ、日常的に、言葉の虐待や身体的虐待が行われていると誤解されるのが一番怖いことである。
多くの施設では、自分や自分の身内の立場に立ってサービスを考える視点が教育され、適切な介護サービスを行っていると思う。
しかし一部でも、ひどい状態があることを我々も関係者として「対岸の火事」的にみたり、発言したりしてはいけないと思う。
少し油断すれば、似たような状況が気づかないうちに自らの施設でも発生するかもしれない。それは「慣れ」が生む油断である。
虐待をする職員、言葉の虐待を行う職員すべてが日頃から「悪いやつ」といえるかといえば、そうでもなく、ごく普通の人が慣れから不適切な言葉や態度に気づかず、それがエスカレートして、密室場面でそのような不適切な態度をとることに罪悪感を感じなくなってしまうという恐ろしさが含まれていると思う。
さらにいえば、不適切な態度や言葉は、気の緩みなどで、すべて適切な介護を行っていて100点ということはあり得ない。
そういう不適切な介護に結びつく根本原因がその施設の基本姿勢の中に根深くあるということで、必ず様々な場面で不適切さは生じているのではないだろうか。
こういう慣れを生まないような職場づくりが必要だと感じる。
日頃から利用者の声かけは「丁寧語」を基本として、親しき仲にも礼儀ありということを忘れてはならない。
しかし、なかなか日常的に守ることができない職員もいる。
そこは「性善説」のみならず、当たり前の考えとして介護は人の幸せのための支援活動であり、人を不幸にする介護サービスや介護者があってはいけないという基本部分を理解してもらうことが重要である。
例えば、食堂で食事介助をしている場面で、利用者や食事とはまったく関係のない話題を職員同士で話している場面がないとはいえない。これも不適切であることは間違いないし、利用者を無視した虐待的態度ととられても言い訳ができないと思う。
介護サービスの評価は、良いサービスを行っているかという以前に、不適切なサービス、特に利用者が「嫌だ」と思うサービスではないか、という検証が必要と思う。