思いをつなぎ、命をつなぎ、歴史がつながれる看取りについて思うこと
2006年の介護報酬改定時に、特養のターミナルケアが始めて報酬上の評価となり「看取り介護加算」が新設された。「看取り介護」という言葉は、その時初めて造られた言葉である。
従来から使われていたターミナルケアという言葉は、医療機関や医療系サービスで使うべき言葉だから、介護保険サービスの介護系サービスに新設される加算名は別の言葉を使うべきだとして、関係職能団体が宿題を与えられた結果、この言葉が生まれた経緯がある。
ターミナルケアを日本語に訳すとすれば、終末期介護という表現が考えられるが、「終末」という言葉を使うと、それがあたかも「死」の支援であるかのような誤解を与えかねない。ターミナルケアは、命の炎が燃え尽きる時期が間近であることが明らかな人に対するケアであるとしても、それは旅立つ人が死の瞬間を迎えるまで、尊厳ある人としての暮らしを支える行為であり、あくまでも生きることを支援する行為である。
こうした誤解を与えかねない名称は好ましくないとして、新しい表現方法がないかと関係者は悩まされたわけである。その時古くから日本語として存在していた、看取り、看取るという言葉からヒントを得て、「看取り介護」という新語をひねり出したのが、この加算名の裏に隠されたエピソード。
しかし突き詰めて考えると、この言葉は少々おかしい。看取り・看取るとは、死に行く人を看護するという意味だけではなく、「病人の世話をする。看病する。」という意味もあり、《看取り=看護》なのである。そうすると看取り介護という表現は、「看護介護」という表現ともいえ、日本語としてはやや不自然である。
「看取り介護」という言葉を、「つなぎ介護」という言葉に変えたらどうかと提案しているところだ。
看取り介護は特別な介護ではなく、日常介護や日常生活とつながっている介護であることを覚えてほしい。
実際に誰かの旅立ちを見送る瞬間や、そこにつながる日々の中では、看取る人と看取られる人との間に様々なエピソードが生まれ、そのエピソードが人々の心に刻まれることによって、旅立つ人と残された人の間で命のバトンリレーが行われる行為でもあることもブログで紹介してきました。
それはまさに旅立つ人の命が、残された人につなげられていくという意味である。
様々なつながりがそこには存在し、人の命が思い出として誰かの心につながって残されていくことが、人の歴史をつくっていくのではないだろうか。そしてつなぐ・つながれていくというのは一方的な行為ではなく、看取る人、看取られる人、双方に意味があり、双方の思いが込められた言葉でもある。
それは様々な場面で心を紡ぎ、ご縁を紡ぐという意味なのだから、人にとって最も大事な行為が死の瞬間まで続いていくという意味にもなる。それは人がこのように生まれ、様々な人生を生きる意味にもつながっていくのではないだろうか。人はこの世に生まれ、日々の営みを続けていくそのことだけでも意味があるということだ。
そういう意味でも「つなぎ介護」という表現が、ターミナルケア・看取り介護に替わる言葉として、最もふさわしいのではないかと考えるのである。
一般的にも浸透した「看取り介護」という言葉を、今更変える必要を感じない人のほうが多いのではないかと思うが、ターミナルケアとは「生きるを支え」、「看取る側の人と看取られる人の双方に意味がある」という観点から、名称見直し議論が起きないものかと期待している。