「ひとりで旅立ちたい」と考えているかたへ
「ひとりで旅立ちたい」と考えている人が、「誰にも知られず終りたい」「孤独死はさびしいと言われるがさびしいと思うのは周りの人が言うだけで本人はわからない。人は一人で生まれて一人で死んでいく。だからひっそりと一人で人生を終えたい」と考える気持ちも十分理解でき、最期はひっそりとと考えていると思う。
遺される人に思いを馳せて、旅立つ自分のことよりも残される人に思いを寄せた選択であるかのような意見が多い。自分の終末期の援助のために、周囲の人に迷惑をかけたくないと考えている人も多い。
まじめに素直に自分自身だけではなく、遺される家族に思いを寄せ「愛」を感じると言ってしまえば、すごく薄っぺらい言葉になってしまうかもしれない。
孤独死とか孤立死と言われる状態で「死」を迎えざるを得なかった人の中には、数週間あるいは数カ月、その遺体が誰にも発見されず放置されてしまう場合がある。そのような遺体が発見された際には、特殊清掃が必要となり、その場所はもう誰も住めない状態になることが多い。
それだけではなく、そこに残された様々な遺品も廃棄せざるを得ない場合が多いそうだ。そうなると亡くなられた方が、遺された誰かに伝えたかった思いもその場所で途切れてしまう。自分の思いやエピソードを伝える、命のバトンが途切れてしまうわけである。
そのことも別に何とも思わないという人も多いのかもしれない。しかし逝く人がそうであっても、遺される者も何も感じないとは限らない。どんなに関係が悪化していても、血のつながりのある人が、逝く人に最後にどう思うかは様々だ。遺される者たちに、最期に逝く人の思いを伝える術があれば、それに越したことはないように思う。
そんな意味でもエンディングノートは、良いツールと思う。