Allo介護の不思議な世界

こんにちは!介護ブログ管理人です。 この記事は介護は難しい、わかりにくい方に向け、初心者でも簡単に紐解いた解説をします。 介護保険は、3年毎に改正されます。この記事を読むと、最新の介護事情や歴史に触れることができます。 とは言え、一体どうしたらいいかが分からない…というあなたのために、一日一つブログをアップし解説したいと思います。 この記事を読み、実践する事であなたも介護の達人になりますよ! ですので、ブックマークをつけて、じっくりと読み進めながら取り組まれてみてください。

看取りについて思うこと




年齢の高い高齢者の《死》に対しては、悲しいというより寂しくなるという思いが強く残ると思います。自然界に生きる人間は、《寿命》という現実を避けて通れません。そのような意味からは、平均寿命を超えて生き抜いた人たちに憐れみの感情を持って接していくことは失礼なことと思います。高齢者介護等の仕事では、様々な場面で生命の長さと生命の質(QOL)のどちらに重きを置くべきかが問われます。死の現実を避けて通れない高齢者に関わる仕事では、自分としての《死生観》を構築していくことが求められます。



看取り加算の創設
特養での医療は日常的な病状管理や緊急時の判断といったことが目的であり、暮らす高齢者も骨折や肺炎等、治療が必要な場面が数多く生じてきます。そのような意味で、高齢者介護においては日常を支える生活支援の介護サービスと非日常である病気やけがを治す医療とのスムーズな連携が重要となります。



病院医師がなかなか施設の実情を理解してくれないことがあります。特養の場合、医師と看護師が配置されていても、医師は常勤ではありませんし、積極的な治療行為もできません。にもかかわらず「医者がいるから」ということで、治療が十分済んでいない利用者(患者)を施設に帰そうとする病院医師が多いと嘆いている方もいます。



介護報酬で『看取り加算』が創設されたのは平成18(2006)年です。当時、家族から「なんで最後に病院に連れて行ってくれなかった」と責められかねないことを考えれば積極的に看取りに取り組む理由は施設側にありませんでした。
そのため、看取りといっても急に亡くなる場合や、治療の可能性も低く本人や家族も病院に行くことに拒否的であるといった、利用者の病状悪化に伴う消極的な事態ととらえていたようです。また利用者の死に関わる対応は基本的に医師や看護師が行うものであり、「介護職等が口を出すべき領域ではない」という暗黙の前提があったことでしょう。
しかし、制度的にも特養に『看取り加算』が認められて以降、手続き等を明確にするように求められることとなりました。その結果、入所段階から施設ケアマネ等が利用者家族ともあらかじめ《看取り=死》の問題を相談できる環境が整い、特養の看取りを取り巻く状況は大きく変化しました。




特養における看取り
特養での看取りの場合、その多くは老衰によって徐々に弱っていくという経過を辿っていきます。しかし、事前の話し合いで施設での看取りに合意していても、予想していなかった病気で急変する場合や、最後になって医療的対応を求める家族もあります。こうした現実を考えれば、看取りに限らず、普段からの家族との信頼関係が大切であり、介護サービスの立場で家族や医療職との連携窓口を担う施設ケアマネジャーの役割、さらには日頃の介護職の関わり方が重要だと言えます。



また、介護・看護職員の高齢者観や介護観、死生観の教育も大きな課題となります。老衰で亡くなっていく人の多くは、微熱が続き、酸素飽和度も低下し、食べ物はもとより水分もほとんど摂取しなくなり、点滴もだんだんと入らなくなってむくみが目立つようになり点滴も停止し、何も施すことができなくなって亡くなっていきます。そうしたターミナル期でも、介護職員は淡々と利用者の水分補給や食事介助を日常的な業務として行い、また排せつ介助を行い、可能であれば入浴の介助も行います。しかし、そこにあるのは冷たいプロ意識ではなく、最後まで利用者に快適に過ごしていただきたいと願う専門職としての温かな思いです。そして、そうした介護職員の様子を見て!「専門職による介護の意義や職員のプロ意識を再確認した」と言う家族も少なく無いはず。




マザー・テレサも言うように死を迎える人たちにとって最も辛いことは、誰にも関心を持たれず、誰にも寄り添ってもらえないことではないでしょうか。看取りの場面においては、利用者にとっても職員にとっても癒しや共感といった感情の交流が最も大切だといえます。そして、高齢者支援の仕事において最も大切であることは、利用者のこころに寄り添うことです。だからこそ介護観や死生観といった職員教育が重要だと言えます。



死は人生最後の課題~物語を閉じる
死に逝く当事者本人にも、家族にも、そして関わる職員にも一つひとつ物語があると感じます。そして、それらの物語がうまく重なり合った時には、看取った事実を関係者で良い物語としてお互いに語り合えたように思います。



利用者家族から《良かったです》、《私もこんな最期を迎えたい》といった言葉が、、、
利用者の多くは90歳を超え、100歳近い人であることも事実ですが、そのほとんどが必要以上の医療処置をせず、最後まで口から食べて、枯れるように亡くなっていく人たち。



死とは、誰にとっても避けることのできない人生最後の課題です。だからこそ、平均寿命を超えて90年、100年近くと長い人生を過ごした人たちにとって、自分自身が少しでも納得できる死を迎えられることが大切です。それゆえに、看取りの場面では周囲の者にも、死という当事者の人生最後の課題解決を邪魔することなく、より良い最期が迎えられるよう支援していく覚悟が求められます。本人が死の現実と向かい合い、時に頑張り、時に受容しつつ、そして静かに旅立つ姿を周囲の者が敬意を持って見送ることができてこそ、本人、家族、職員それぞれが物語を良い形で閉じることができると思う。