長寿を苦行に変える【自立支援】
大分県といえば、和光市と並んで国がモデルとする「自立支援介護」のメッカでもある。
2021年の報酬改定では、自立支援介護という方向で、新しい加算が各種サービスに新設されることになる。居宅介護支援におけるケアマネジメントの方向性も、国が言うとことの「自立支援」にシフトする方向に誘導される。今年度に導入された生活援助中心型サービスの一定数以上のケアプランの届け出義務はその序章である。
大分県はその流れに沿った方向で介護支援専門員などを指導しており、国の推奨する自立支援介護の先進地というわけである。
後期高齢者で、身の回りはなんとか自分で出来ている方であっても、家事能力が衰えることが生活障害となって独居が難しくなる方がいる。このとき家事能力の衰えを防ぐという発想のみでケアサービスを提供しても何の課題解決に結びつかないケースがある。自立支援という価値観だけでは解決しない問題もある。
できることを続けながら、できないことは誰かに頼って、暮らしの質を担保するという視点がないと、毎日頑張ってつらい思いを日常だと勘違いしなければ生きていけなくなる人がいる。
そもそも出来る能力に着目してサービスを結びつけようと発想が、出来ないことはだめなことだというという発想になっては困るのだ。生活課題はしっかり捉え、それに対するアセスメントをすることはネガティブではない。
出来ないものは出来なくて良い。出来ることをどのように生活の質に繋げていくかというのが自立支援ではないか。ここは頑張るけど、ここは助けてもらいましょうという発想がないと高齢者の暮らしは、ひどく辛いものになるだろう。それは長寿を苦行に変える行いでしかない。
特に和光市で「介護保険制度から卒業」させられた人の後追い調査では、その1割の方が自費で、更新認定前と同じ介護サービスを利用しているとされる調査結果も示されている。そうであれば自立支援の結果として、要介護更新認定の結果が「非該当」とされて、介護保険サービスを使わなくてよいとされた「卒業生」の一部は、そのことを快く思っていないという意味である。介護保険からの卒業という名の下で、保険給付サービスが利用できなくなったことは、「本意」ではないと思う。
それは自立支援ではなく、給付抑制ではないのか?そんな行為に介護支援専門員という有資格者が何の疑問もなく加担してよいのだろうか。
障害があり、生活の一部に支援が必要な人が望み、目指すものは何なのか。その人たちがすべて自立を支援されなければならないのかを考える時期である。