物乞いする介護施設が見習うべき徳洲会病院
利用者の家族から乞食のように、袖の下のお金を恵んでもらってる介護施設
利用者や利用者の家族から何回か現金を渡されそうになった話しを聞いたことがあります。当然ながら断ったそうです。
人間としての生き方の問題でもあり、プライドが許さないからだそうです。
「渇しても盗泉の水を飲まず」は当然です。
もしも、わたしが現金を利用者からもらっていた場合、介護施設で問題になり、他職員から軽蔑され、その施設にいられないと思います。
これが普通と思いますが、現金の授受を行っている介護職員は、今すぐに考え直してほしい。
「徳洲会」という病院を知っておられる方もおられると思いますが、徳洲会が開設された1973年当時、救急医療は整備されてなく、救急の患者がたらい回しされ随分と亡くなっていったのです。
徳田虎雄氏の徳洲会病院は、年中無休、24時間オープンで「生命だけは平等だ」の理念の下、急病救急を断らずに、徹底した患者中心の方針をとりましたが、その中に「贈り物謝絶」の方針もありました。
現金はもちろん、ミカン一個もらっても徳洲会の医師はクビになったのです。
「贈り物謝絶」こそ、徳洲会革命の原点だったのです、本当に素晴らしい病院だと思います。
徳洲会の例を出しますと、「贈り物謝絶」をして医師や看護師の間に平等意識が高まったそうです。
平等の意識は、言うまでもなく特権意識の否定の上に形成されます。
ということは、贈り物謝絶をすることによって、患者に対して「診てやるんだ」という意識もなくなり、医師と患者とのあいだの新しいモラル形成が生まれたそうです。
これは、介護施設にも当然当てはまり、贈り物をもらうことで「介護してやるんだ」という意識が生まれない為にも、贈り物は絶対にしないでほしいし、施設とすれば、「贈り物謝絶」の方針を絶対に堅持すべきなのです。
徳田虎雄氏が行った、患者から医師への贈答の習慣の廃止は、医者が患者に君臨する世界そのものへの鉄槌を意味する。
徳田氏は、日本の医療をさらに患者中心のものとするために、目の色を変えて突っ込みました。
徳田氏にとっての最終目標は、単に病院のネットワークを完成させて医療砂漠を解消することだけでなく、実に「患者監視」の病院をつくることによって日本の医療を根本的に変えてしまおうということにあったのですが、途中でつまらない政治の道に入られたのは残念でなりません。
あのまま、徳洲会の理事長に専念して先頭に立っておられたら、日本の医療はもっと良くなったのだと思う。