竹内理論の大衆心理④
介護の仕事は成果が分かりにくい仕事です。
介護業界には医療業界に対する相当なコンプレックスもあります。
その中にあって、分かりやすい方法論があって、やった結果を数値で表せるこの方法は、介護関係者の心に響きます。
それが徐々に暴走し、「総合的に判断する」「自分の目で見て自分の頭で考える」ことを忘れさせ「これさえやっていれば間違いないはず」と。
一連のムーブメントに対して、
- 自然の現象である『老い』を否定していないか?
- おむつ=悪なのか?
という疑問が生じてきませんか?
老いを否定してないか?
水分を沢山摂れば覚醒状態が良くなるはずだ。歩かせれば歩けるようになる…
いや、人は(というかあらゆる生命は)徐々に衰え死に向かいます。それはごく当たり前の自然の摂理です。
死ぬ直前まで自立的な生活を送り、ピンピンコロリと逝ければそれが一番幸せですが、現代は人類史上初の、なかなか死ねない長寿社会です。これほど老いてまで生きていると言う状況が、人間の歴史上初めての領域なのです。
若い人に対する生活感やリハビリ感を、90歳も過ぎたお年寄りに当てはめるような事は不自然です。
おむつは悪なのか?
「老いの否定」に関係することです。
日常生活自立度ということで言えば、お年寄りは赤ちゃんと同じレベルになります。
赤ちゃんがおむつをすることを否定する人は少ないです。しかし同じ自立度であるお年寄りではこれが否定されます。
お年寄りは様々な人生経験を経て、人格や尊厳と言ったものが培われています。そこが赤ちゃんとの違いです。大の大人がおむつなんてしたくないです。しかし、身体機能の衰えという点では、赤ちゃんと同様になっていくのです。これは認めたくなくとも認めざるを得ない現実です。
竹内氏は、某インタビューで、〔君も一度やられてみろよ。少しでも意識ある人間にとって、他人に汚れたお尻を見せることがどんなに屈辱的か。おむつすら外せないで、高齢者の尊厳だとか自立なんて、お題目を唱える資格などない。あれは限りない虐待だからね〕と。
おむつ=悪とする風潮を介護する側が作ってしまっては、余計にお年寄り自身に「おむつ=恥ずかしい事」という意識を助長してしまう事にならないでしょうか?
歩くのが不安になったら杖を使う。心臓が悪いからペースメーカーを入れる。膝が悪いから人工骨頭を入れる・・・、うまく排泄ができないからおむつを使う。でも良いのではないでしょうか。
ウンチは臭いですし恥ずかしいです。でもそれは自然の摂理であり、普段はなるべく見えないようにしているだけです。否定批判するようなものではありませんし、軽蔑されるようなことでもありません。